最高裁判所第三小法廷 平成8年(行ツ)160号 判決 1998年3月10日
三重県四日市市伊倉一丁目三番五号
上告人
松本鐘奎
右訴訟代理人弁護士
波多野弘
三重県四日市市西浦二丁目二番八号
被上告人
四日市税務署長 坂本治己
右指定代理人
齊藤雄一
右当事者間の名古屋高等裁判所平成七年(行コ)第二八号青色申告承認取消処分等取消請求事件について、同裁判所が平成八年四月二六日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人波多野弘の上告理由について
原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文)
(平成八年(行ツ)第一六〇号 上告人 松本鐘奎)
上告代理人波多野弘の上告理由
一、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな最高裁判所判例に違背した法令の解釈を誤った違法がある。すなわち、
1、所得税法第一五〇条二項は、青色申告の承認の取消しについて、
「税務署長は、前項の規定による取消しの処分をする場合には、同項の居住者に対し、書面によりその旨を通知する。この場合において、その書面には、その取消しの処分の基因となった事実が同項各号のいずれに該当するかを付記しなければならない。」と規定している。
2、右規定における事由付記を要求する趣旨及び付記すべき事項の範囲については、旧法人税法(昭和二二年法律第二八号)第二九条九項後段の解釈について、つとに最高裁判所第一小法廷昭和四九年四月二五日判決が、
「同法が承認取消しの通知にこのような付記を命じたのは、承認の取消しが右の承認を得た法人に認められる納税上の種々の特典(前五事業年度内の欠損金額の繰越し、推計課税の禁止、更正理由の付記等)を剥奪する処分であることにかんがみ、取消事由の有無について処分庁の判断の慎重と公正妥当を担保してその恣意を抑制するとともに、取消しの理由を処分の相手方に知らせることによって、その不服申立に便宜を与えるためであり、この点において、青色申告の更正における理由付記の規定(同法三二条)その他一般に法が行政処分につき理由の付記を要求している場合の多くとその趣旨、目的を同じくするものであると解される。そうであるとすれば、そこにおいて要求される付記の内容及び程度は、特段の事由のない限り、いかなる事実関係に基づきいかなる法規を適用して当該処分がされたのかを、処分の相手方においてその記載自体から了知しうるものでなければならず、単に抽象的に処分の根拠規定を示すだけでは、それによって当該規定の適用の原因となった具体的事実関係をも当然に知りうるような例外の場合を除いては、法の要求する付記として十分でないといわなければならない。
この見地に立って旧法人税法二五条の規定をみるに、同条八項各号に掲げられた承認取消しの事由は、青色申告制度の基礎をなす納税者の誠実性ないしその帳簿書類の信頼性が欠けると認められる場合を類型化したものであるが、具体的事実においていかなる事実がこれに該当するとされるのかは必ずしも明らかでなく、特に同項三号の取消事由は極めて概括的で具体性に乏しいため、取消通知書に同号に該当する旨付記されただけでは、処分の相手方は、帳簿書類の記載事項の全体についてその真実性が疑わしいとされた理由が、取引の全部又は一部を隠ぺいし若しくは仮装したことによるのか、それともそれ以外の理由によるのか、また右の隠ぺい又は仮装が帳簿書類のどの部分におけるいかなる取引に関するのか等を、その通知書によって具体的に知ることはほとんど不可能であるといわなければならない。のみならず、承認の取消は、形式上同項各号に該当する事実があれば必ず行われるものではなく、現実に取り消すかどうかは、個々の場合の事情に応じ、処分庁が合理的裁量によって決すべきものとされているのであるから、処分の相手方としては、その通知書の記載からいかなる態様、程度の事実によって当該取消しがされたのかを知ることができるのでなければ、その処分につき裁量権行使の適否を争う的確な手がかりが得られないこととなるのである。
以上の点から考えると、同条九項後段の規定は、その文言上だけからは、一見取消しが同条八項各号のいずれによるものであるかのみを付記すれば足りるとするもののようにみえないでもないけれども、このような解釈が前記理由付記の趣旨、目的にそうものでないことは明らかであり、他方、そのような不十分な付記で足りるとする特段の合理的理由も認められないのである(取消しを行う処分庁としては、既に具体的な取消事由についての調査を経ているはずであるから、これを具体的に処分の相手方に通知すべきものとしても、さほど困難な事務処理を強いられるものとは考えられない。)から、同条八項三号におけるようにように該当号数を示しただけでは取消しの基因となった具体的事実を知ることができない場合には、通知書に当該号数を付記するのみでは足りず、右基因関係自体についても処分の相手方が具体的に知りうる程度に特定して摘示しなければならないものと解するのが相当である。……中略……。右付記を命じた規定の趣旨が、処分の相手方の不服申立てに便宜を与えることだけでなく、処分自体の慎重と公正妥当を担保とすることにもあることからすれば、取消しの基因たる事実は通知書の記載自体において明らかにされていることを要し、相手方の知、不知にはかかわりがないものというべきである。」(民集二八巻三号四〇五頁以下)
と説示するところである。
3、ところで、本件青色申告の承認取消通知書には、取消しの基因となった事実として、「あなたの、昭和六一年、同六二年、同六三年度分の所得税の調査に関し必要があったので、当税務署の調査担当者が、あなたの事業所に臨場し、あなたに昭和六一年分の青色申告に係る帳簿書類(以下「帳簿書類」という。)の提示を求めました。しかしながら、あなたは、売上げに係るレジペーパーの控え、請求書控え及び売上伝票は、破棄した旨申立てて、これらを提示されませんでした。
このことは、帳簿書類の備付け、記録又は保存が所得税法第一四八条((青色申告者の帳簿書類))第一項に規定する大蔵省令で定めるところに従って行われていないことになります。」
とのみ記載されている。
右通知書にいう所得税法第一四八条一項は、「第一四三条(青色申告)の承認を受けている居住者は、大蔵省令で定めるところにより、同条の規定する業務につき帳簿書類を備え付けてこれに不動産所得の金額、事業所得の金額及び山林所得の金額に係る取引を記録し、かつ当該帳簿書類を保存しなければならない。」と規定するのみで、右規定にいう帳簿書類が具体的にいかなるものであるかのかは、右規定だけからでは何ら明らかにならず、極めて漠然たるものである。
したがって、単に『売上げに係るレジペーパーの控え、請求書控え及び売上伝票』と記載されても、それが果たして前掲所得税法第一四八条第一項の規定にいう帳簿書類に該当するのかを具体的に知ることは殆ど不可能であり、上告人は、少なくとも右規定にいう大蔵省令である所得税法施行規則の具体的条項を示さなければ、前掲最高裁判所判決にいう『いかなる事実関係に基づきいかなる法規を適用して当該処分がされたのか』を、その記載自体からは何ら了知しえないものである。
4、更に、右所得税法第一四八条第一項にいう大蔵省令である所得税法施行規則第六三条は、帳簿書類の整理保存として、
「一、第五十八条(取引に関する帳簿及び記載事項)に規定する帳簿及び当該青色申告者の資産、負債及び資本に影響を及ぼす一切の取引に関して作成されたその他の帳簿、
二、たな卸表、貸借対照表及び損益計算書並びに計算又は決算に関して作成されたその他の書類、
三、取引に関して相手方から受けとった注文書、契約書、送り状、領収書、見積書その他これらに準ずる書類及び自己の作成したこれらの書類でその写しのあるものはその写し、」
と規定しているが、単に大蔵省令とのみ記載されている前記通知書だけからでは、上告人は、仮にこの大蔵省令である所得税法施行規則第六三条を知ったとしても、これら規則のいずれに該当するかの判断をすることは困難であり、前記レジペーパー、請求書控え及び売上伝票がこれらの規則にいずれに該当するのかを了知することもできない。
すなわち、右所得税法施行規則第六三条第一項は帳簿に関する規定であり、同条第二項はたな卸し表、貸借対照表及び損益計算書並びに計算又は決算に関して作成されたその他の書類と明記しているから、レジペーパー、請求書控え及び売上伝票がこの規定にいう帳簿、書類に該当しないことは明らかである。とすれば、僅かに第三項「取引に関して相手方から受けとった注文書、契約書、送り状、領収書、見積書その他これらに準ずる書類及び自己の作成したこれらの書類でその写しのあるものはその写し」に該当するのではないかと考えられるに過ぎないが、右規定にいう注文書、契約書、送り状、領収書、見積書等の例示からみれば、レジペーパー、請求書控え、売上伝票がこれらに準ずる書類に該当するか否かは、かなり疑問であり、しかも右規定では、自己の作成したこれらの書類であっても「その写しのあるものはその写し」とされているから、写しがなければ整理保存する必要がないこととなる。
したがって、「前述した所得税法一五〇条二項の趣旨・目的に照らせば、青色申告取消処分通知書に付記すべき事項としては、取消の処分の基因となった事実及び右事実が所得税法一五〇条一項各号のいずれに該当するかを明記すれば足り、それ以上に右事実が大蔵省令の定めるどの義務のどの条項に違反するかまでを記載することは要求されていないと解すべきであるから、控訴人の前記主張は採用することができない。」とした原判決には、「いかなる事実関係に基づきいかなる法規を適用して当該処分がされたかを、処分の相手方においてその記載自体から了知しうるものでなければならず」とした前掲最高裁判所判決に違背した法令の解釈を誤った違法がある。
二、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈を誤った違法がある。すなわち、
1、所得税法第一五六条は、推計による更正又は決定として、
「税務署長は、居住者に係る所得税につき更正又は決定をする場合には、その者の財産若しくは債務の増減の状況、収入若しくは支出の状況又は生産量、販売量その他の取扱量、従業員数その他の事業の規模によりその者の各年分の各種所得の金額又は損失の金額(その者の提出した青色申告書に係る年分の不動産所得の金額、事業所得の金額及び山林所得の金額並びにこれらの金額の計算上生じた損失の金額を除く)を推計して、これをすることができる。」
と定めている。
2、右規定に基づき、税務署長がいわゆる推計課税を行う場合であっても、その推計に合理性がなければならないことは言うまでもないが、一般に同業者率によって推計課税が行われる場合には、同業者の抽出基準として、イ、同業者の所在は管内ないし近接の署、ロ、業態の同一性、ハ、営業規模の類似性(売上金額、店舗(客席)面積、店内設備、従業員数等)、ニ、同業者の資料の正確性(青色申告者で一定期間営業を継続している者)を考慮すべきものとされている。
3、ところで本件において、抽出された同業者三件中に法人が一件抽出され、右法人の売上金額が上告人のそれと比較して極めて高いこと(例えば、右法人の昭和六一年分とされるものと上告人昭和六一年分を比較しても、右法人の売上金額は上告人の約一・七五倍)は明らかである。この点について原判決は、
「本件において同業者比率を用いて推計したのは収入金額と、人件費等の特別経費を除いた一般経費額であり、これらは法人か個人かという一事によって有意的な差異を生じるものではない」
として、法人と個人との差異を殊更に無視している。
4、しかしながら、個人と法人とがその組織・更正のみならず、その営業の実態において全く異なるものであることは言うまでもなく、同業種ではあっても、個人の推計課税において、法人を抽出することは、法人税法、所得税法という法の体系を無視することになり、それ自体著しく不合理なものである。また、一定期間における所得金額の算定には、収入金額とともにこれから控除される費用及び損失の金額が確定されなければならいことは言うまでもないが、同じく所得を課税標準とする所得税法と法人税法とでは、この費用及び損失の規定の仕方は一様ではない。
すなわち、所得税法では、事業から生ずる所得における必要経費とは、「これら所得の総収入金額に係る売上原価その他の当該総収入金額を得るため直接要した費用の額及びその年における販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき事業について生じた費用(償却費以外の費用でその年において債務の確定しないものを除く。)の額とする。」
(所得税法第三七条第一項)と規定し、資産損失についてはこれを必要経費とする旨を別条(同法第五一条)で定めている。
これにたいして、法人税法では、専ら企業利益を課税対象とするところから、「損金の額に算入すべき金額」には、収益に係る売上原価、工事原価、販売費、一般管理費その他の費用(償却費以外の費用で当該事業年度終了の日までに債務の確定しないものを除く。)及び資本等取引以外の取引に係る損失が含まれる旨を規定している(法人税法第二二条第三項)。
このような規定の相違は、所得税法が各種所得を源泉別に捉えていることから、その計算に当たって収益との直接対応を重視するのに対して、法人税は所得を包括的に把握しょうとするものであることによる。したがって、両者には収益と費用の相当因果関係に広狭の差異を生ずることとなり、所得の基因となる事実に関係はあるが直ちに所得の形成に寄与しているとは認め難い費用は、純資産増加的に考える法人税法では損金に認められても、収益との対応を厳しく解する所得税法では認められないこととなる。逆に減価償却の一例をもってしても、個人においては建物償却費は強制償却であるのに対して、法人においては任意償却が認められるなど、一事をもってしても、個人と法人とにおいて一般経費に有意的差異のあることは明白である。
他方、本件において、抽出された法人の事業年度は、「昭和六一年七月以降平成元年六月三〇日に終了する」ものであるのに対して、本件における上告人の係争年度は、「昭和六一年一月一日から昭和六三年一二月三一日」までの個人の事業年度であり、対象となる期間が前後各六ヶ月のずれがあり、法人を個人の推計課税において同業者として抽出すること自体が法令の解釈を謝った違法に加えて、このように事業対象期間を異にする法人を個人の推計課税における同業者として抽出することは、抽出された同業者の業態の類似性、資料の正確性、営業規模の類似性のいずれの観点からしても極めて不合理であることは明らかである。
したがって原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈を誤った違法がある。
以上